天津について
天津市は中国中央政府の4大直轄都市のひとつ (他は、北京、上海、重慶) であり、中国渤海湾に国際港を持ち、華北地方の経済・貿易の中心地である。人口は、1,364.83万人(2025年現在)で、世界で5番目に人口の多い都市である。


天津之眼
郊外には、万里の長城など景色の美しい所もあり、産物が豊富である。また、地方色豊かな文化 (天津泥人張、年画等) を持ち、地方的な風習も残っている。歴史的な遺跡もあり、観光都市として整備されつつある。そして、華北第一の国際港都市として現在も発展し続けている。

←万里の長城 古文化街→

←泥人張 楊柳青年画→
1.天津の地理的な位置
天津市は北緯38度34分、東経116度42分の位置にある。中国の華北平原の東北部に位置する。市の西北部に燕山が聳え立ち、東南部は渤海に接している。面積の95%が華北平原で、残りの5%は低い山地と丘陵である。地形は西北から東北にかけて次第に低くなっていて、塵取り形の傾斜地になっている。南運河、北運河、子牙河、大清河、永定河の5つの支流が、天津郊外で合流し、全長72㎞の海河となり、市内を通り渤海湾に流れている。
天津市は南北の長さが186㎞、東西の広さが101㎞である。周囲との境界線の長さが900㎞もある。それに海岸線の長さが約133㎞ある。総面積が11.305平方キロメートル (ほぼ秋田県と同じ) である。現在、13の市街地と5つの県 (薊県、武清県、静海県、宝坻県、寧河県) からなる。
天津市は北京市の東南120キロの所に位置し、天津、塘沽、新港の3つの港を持ち、中国の首都北京の玄関口になっている。天津と北京間は、鉄道や高速道路によって結ばれている。

2.天津の地形
天津市は、古代は果てしない大海であった。最初に大陸となったのが、薊県あたりの燕山山脈である。地層が強烈に動き出したため、約19.5億年前に山脈が高く持ち上がり、海水が去り、後に隆起と沈没が繰り返してできた。今から7500年前の新石器時代に、ある強烈な陸地の沈没を経て、現在の天津地域北部、西部の陸地が形成されたのである。
この時期に古黄河が3回にわたり北に移動し、天津辺りで海に流れ込んでいた。この古黄河についての最初の記載は、3500年前の夏・商時代であり、最後の一回は掴卜純煕11年である。古黄河には大量の泥砂が含まれており、天津から海に流れ込んでいた。このため天津地域に沖積平原の形成に大きな役割を果たした。
漢・唐の時代に、海河が軍糧城辺りで海に流れ込み、天津周辺の平原が基本的に形成された。

3.天津の歴史
天津市の原住人については、最も早期に薊県の南麓に集落が出現したと考えられている。現在の薊県、宝坻県、北辰区でそれぞれ新石器時代の遺跡が発見されている。
1977年に武清県高村郷蘭城村近くで東漢初期頃の墓が発掘され、1982年に静海県東眠頭村で東漢晩期の三つの墓が発掘された。また、天津地域内で三つの古城も発見されている。
天津市は隋王朝の大運河開通と共に形成された。608年に隋の帝が160万人を徴集し、運河の整備に当たらせ南北運河の水路の交通が開けた。海河、黄河、長江を結び付け天津が南北水陸運送の港になった。1213年前後に、金王朝が三岔河口で直沽村落を設置した。これが天津市の始まりとなった。元王朝時は海津鎮と名を改めた。正式に「天津」と命名したのは明王朝になってからである。
明王朝の太祖朱元璋が都を南京にし四番目の皇太子を燕王に立て北京を守備させた。洪武31年 (紀元1398年) 朱元璋が病死し、その孫に帝位を継がせたため燕王が反乱を起こした。彼は“靖難の役”という戦争を起こし、兵隊を率いて北運河に沿って南に下り直沽を渡り、昼夜に関わらず軍隊を走らせた。
1402年、南京を征服し覇権を奪い取ったその時から都を北京にした。天津と言う名は、当時燕王が兵を率い“直沽を渡り”南下する際に授けてくれた名である。近年に出土した『三官廟碑を修理し直すこと記す』の碑文には成祖文皇帝が天津という名を授けたことを記載している。
1404年「天子の津」であったことを記念して「天津衛」(天子の渡し場という意味の軍事基地) が設けられた。これが天津の名のはじめである。「衛」とは明代において、5600人規模の軍隊編成をさす。それだけの規模の軍隊が駐屯する城がこの地に築かれ「衛」は天津の略称にもなった。また、天津は北京に至る重要な門戸であったことから、別名「津門」とも呼ばれた。明、清両代南方からの物資輸送はもっぱら大運河が利用され、天津は商業都市として繁栄した。

近代天津は、北京の外港として国際的にも重要な地位を占めるにいたった。アロー戦争後に結ばれた北京条約 (1860年) によって、天津は開港を余儀なくされた。英・米・仏・独・日本が次々と租界を獲得した。義和団事変後ロシア・ベルギー・イタリア・オーストラリアも租界を獲得した。一地域に9カ国の租界が存在したのは天津だけであった。また中国の近代化をめざした洋務運動の中心の一つとなり、北洋学堂、天津機器局などが19世紀末創設された。

←北洋学堂 五大道→

安里甘教堂

1949年、中華人民共和国の成立により租界は完全に消滅した。同時に天津は、中央直轄都市となる。建国後、新港の建設や水利工事が行われた。1976年に発生した唐山地震では大被害を受け、市街地の67%の住宅が被災した。その後住宅 建設と都市計画に力を入れ、84年には沿岸開放都市に指定され、塘沽区には経済技術開発区が建設されている。
4.天津の文化、宗教、習慣
天津市には約1300万人が住み、民族は漢民族、回民族、朝鮮族、満州族、蒙古族、チワン族等の民族がくらしている。そのうち漢民族が大半を占めている。回民族は清真寺を中心として住んでいる。イスラム料理の店も多くあり戒律を守って生活している。
市内には仏教の大悲院や、キリスト教の老西開教堂、古くから信仰されてきた海運の守り神が祀られた天后宮など多くの宗教建築があり、観光名所にもなっている。宗教的な制約はほとんどないが、儒教的、道教的な習わしを大切にする人が多くおり、生活の中に根付いている。

←大悲院 老西開教堂→

天后宮
天津の人たちはおおらかで日本人に好意的な人が多い。新しいものが好きで、積極的に新しい技術を取り入れている。デジタル技術の進化のスピードなどは目を見張るものがある。
水上公園の近くに周恩来記念館が1998年に開館し中国の近代化の歴史を参観することができる。

周恩来記念館

5.天津の経済
天津市の主要経済基幹産業には、サービス業、装備製造業、自動車産業、石油化学産業などがあります。
サービス業には特に金融業、情報通信・ソフトウェア・情報技術サービス業、リース・ビジネスサービス業などの近代的サービス業が良好に発展し、サービス業発展の中核的力となっています。
装備製造業は天津工業の重要な構成部分で、スマート製造装備、軌道交通装備などのハイテク分野を主導とする産業構造を形成し、天鍛プレス機、新松ロボットなどの主要企業を擁しています。
自動車産業は天津市の伝統的な優位産業の一つで、2025年上半期には一汽トヨタの新能源工場が多車種混流生産を実現し、電動化車種生産台数は前年比41.4%増加、新能源自動車の発展計画では2025年までに生産比率30%達成が明確化されています。

天津·TOYOTA

天津·DENSO
航空宇宙産業は天津が重点的に発展させる戦略的新興産業の一つであり、「三機一箭一星一站」(大型飛行機、ヘリコプター、無人機、ロケット、衛星、宇宙ステーション)を代表とする産業構造が形成されています。2024年には航空宇宙産業チェーンの付加価値が著しく増加し、2025年上半年には同産業は良好な発展勢いを維持しています。

エアバスA320天津組立ライン
天津市渤海灣沿岸の海河入海口に位置する天津港は、中国北部最大の総合的かつ重要な対外貿易国際的なハブ港である。国家にとって重要な戦略資源であり、京津冀の海上玄関口として、2024年のコンテナスループットは現在の世界トップレベル8位に達した。また、「一帯一路」の海陸交差点であり、中モンゴル・ロシア等の新欧亜大陸橋経済回廊の重要な節点でもある。世界最高水準の人工深水大港で、埠頭の等級は30万トン級、航路の水深はマイナス22メートル、各種の埠頭は213個あり、主に北疆、東疆、南疆、大沽口、高沙嶺、大港の6つの港区から構成されています。天津港は、世界の180か国・地域の500以上の港と貿易往来を行い、国内では京津冀地域および中西部地域の14の省・市・自治区を放射状にカバーし、腹地の面積は約500万平方キロメートルです。

天津港が世界初の完全なインターネット・オブ・シングス(IoT)対応コンテナターミナルを発表
市内では商業機能が高まり大手デパート、スーパーが建てられショッピングの環境が整えられている。日本の企業もたくさんあり、3000人を越す日本人が生活している。
6.天津の言語
言語は一般的に北京語に近い。天津の人々は、天津訛り(特にアクセントが異なる)があり、簡略化して話すことが多い。
7.天津の気候、風土
①気候、風土
天津は温暖、大陸の季節風型気候であり、四季がはっきりしているが、雨は年間通じて少ない。
薊県の山林地域を除けば、年間の平均気温が11℃以上である。一番寒い月の気温が-4℃から-10℃である。一番暑い月の平均気温が36℃前後である。1月と7月の温度差が40℃前後である。天津の春は短く50日間位であり、夏が100日間位ある。秋は55日間位であり、冬が最も長く160日間位である。

薊県·盤山
天津の風の向きは季節によって変わる。春と秋には主に西南からであり、夏は主に東南から、或いは南風である。冬は西北、或いは偏西風である。無霜期が平均して204日間である。年間の日照時間が平均して2600から2800時間である。
②上記に伴う医療・生活必需品
■ 衣料について
夏は大変暑く日本の夏の生活と変わりがない。湿度が低くベタベタした感じはしない。衣類は、日本と同じもので良いと思われる。
冬はマイナスの気温である日が多く、外出のときは手袋、帽子、下着の重ね着、厚手のコートが必要である。日本の暖かい地方から来津する場合には、こちらで防寒衣類を購入するようになると思われる。
■ 生活必需品
天津においては季節にあった衣料品、生活必需品は豊富であり、最近はデザインのよいものやメーカー品が日本より安く購入することができるようになった。ブランドにこだわらなければ、不自由することはない。
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